これは一学生が中国語を勉強しているときに混乱した文法事項を「こう解釈すれば納得できる」という感じに簡単にまとめたものです。専門は言語学でも中国語でもないですし、ましてなにか参照してこの考えに至ったわけではないので、正式な文法の一部とは思わないでください。
また、現在ほかの単語や文法事項も勉強中ですので、新しい関連情報が見つかり次第修正するか、まとめ直すかしていきたいと思っているので、まだ未完成な内容であることをご理解ください。
一応、中国語を勉強したことない人にも主張が伝わるように頑張りましたが、わからないところがあったら分かりやすく書き換えたいので教えてください。
中国語には「努力」という単語があります。読んで字の通り日本語の「努力」とほとんど同じ意味を持っている、中国語のなかでも初等的な単語ですが、この単語を習ったときにかなり混乱しました。そしてこのことについて中国語の先生(中国人)に聞いても、その授業の中国語教育専攻の2人のTA(中国人)に聞いても、友人の中国人に聞いても、その友人の中国語教育専攻の学生(中国語)に聞いても答えがでず、しまいにその担当の中国語の先生が論文をさがしてようやく解決したという次第でした。
その質問は「努力は動詞ですか?それとも形容詞ですか?」。まあ名詞の意味もありますが(例: 努力对你的成功最重要。
は「努力は成功のために最も重要だ」の意)、まあこれは特に混乱するような問題はなかったので。。
さて、「努力」の問題の箇所は、授業では「努力」は動詞であると教えながらも、以下の3つがすべてだいたい同じ意味(私は一生懸命に中国語を勉強している)の正しい中国語の文章ということでした。
※ 习
は習
の簡体字
我努力学习中文。
我努力地学习中文。
我学习中文很努力。
まず第一の我努力学习中文。
は、まあバリバリ動詞って感じがします。中国語を勉強していない人でも、中国語と英語の文法が結構似ていると聞いたことがあるかも知れません。中国語の他動詞も英語のSVO型文型みたいな構成をしています。「学习中文(中国語を勉強すること)」という名詞句をとって「我」の「がんばる」「努力する」という動作を表現している他動詞と「努力」を解釈することができます。
つぎのはちょっと動詞か怪しくなってきました。前の我努力学习中文。
との違いは努力のあとに地
が入っているかいないかしかないのですが、これを習った当時の僕はわりと中国語文法に絶望しました。この地
ですが、形容詞を副詞に変える機能のある単語で、例えば英語の-ly
が近いでしょうか(強いstrong -> 強くstrongly)。例文としては他很快地跑步。
が「彼は素早く走る」くらいの意味です。言っているとおり、地
は形容詞につく単語ですので、努力
は形容詞ということになります。
我学习中文很努力。
で、「努力」はもう完全に形容詞ヅラしています。中国語では她可爱
(彼女は可愛い)のように「主語+形容詞」で主語を修飾します。この際に、普通は「とても」の意味を若干含む、あまり意味のない很
という単語を形容詞の前に置くことが多いです。なのでこの文は「我学习中文(私が中国語を勉強している(こと))」を形容詞の努力
が修飾していると考えるのが適当そうです。
さて、この質問は専門家も困らせるくらいには面倒くさかったのですが、先生は論文に目を通し「努力は動詞である」という内容と「努力には動詞でもあるし形容詞でもある」という内容があることを教えてもらいました。実際にWeblio中日辞書だと動詞と形容詞の説明が載っています。
この件はこんなもので解決できるのですが、あまりに似たような問題が多いことから僕は中国語の文法を教科書通りに理解することを諦め、代わりに「中国語には動詞と形容詞の区別が存在しない」という暴論で理解することにしました。続きはその根拠です。
中国語を習う時に最初に出てくる文法事項は、「主語+形容詞」で「主語は〜〜だ」という意味になる、ではないでしょうか。よく「英語とちがってisに相当する単語(是)を使わない、使うと誤り」みたいな教え方をしている気がします。一方、動詞は英語のSV型同様、「主語+動詞」です。形容詞も動詞も、「主語+形容詞」「主語+動詞」と使い方が一緒ですね。
中国語では「形容詞+的」で形容詞を使って名詞を限定することができます。可爱的人
は「可愛い人」の意味になります。では、動詞をつかって「〜している人」はどう表現するのかというと、同じく「動詞+的」になります。学习中文的学生
は「中国語を勉強する学生」の意味です。名詞の修飾のしかたは同じですね。
英語で比較級は-er
かmore
をつけることで「より〜だ」としますが、「ずっと〜だ」「もっともっと〜だ」というような比較の強調には、very
やpretty
といった一般に形容詞を修飾する単語ではなく、even
やmuch
という特別な副詞を用います(This building is much taller.
)。中国語でも比較の際には非常
や很
のような通常の強調の単語は使えず、代わりに更
のみを使います。たとえば、寿司更好吃
は「寿司のほうが断然うまい」の意味です。
動詞にも一応比較っぽい表現があって、同じく更
をつかいます。你再来时,会更受欢迎
は「あなたが次に来たときにはもっと歓迎します」くらいの意味ですが、受
(受け取る)という紛れもない動詞が更
で強調されているのがわかります。
会
は未来や可能を表現する助動詞で、英語のwill
に比較的近い意味を持っているという印象があります。使い方としてはさきほどの你再来时,会更受欢迎
がいい例です。更
の修飾を受けてはいますが、受欢迎
「歓迎を受ける」が将来に行われることを表しています。形容詞でも「将来〜の状態になる、なりうる」といいたい場合、この動詞部分を形容詞で置き換えるだけです。たとえば「値段が高い」という意味の贵
をつかって如果你搬出香港,房租会很贵
(もし香港に引っ越せば家賃はすごく高くなるだろう)となります。
中国語の動詞と形容詞がおおくの文法事項を共有していることが示せたと思います。また「努力」のように動詞であり形容詞であるとされる動詞もけっこう多いです。
では、結局、動詞と形容詞に区別はないのでしょうか。 このことは中国人の友人と議論した結果、西洋で発達した言語学の概念(動詞や形容詞)では中国語がうまく解析できないのではないか、という結論に一応なりました。考えてみると、同じ東洋のことば日本語でも形容詞には動詞にある命令形がない、などはっきりした文法上の違いはありますが、活用のしかた・活用形の多くを共有しています。そして、それをまとめるために動詞や形容詞をまとめる「用言」という日本語独自の概念をもっているわけです。さすがに現代において中国語の文法が適当に解析できないほど言語学が発達してないことはないとは思いますが、中国語にあった文法をつかって中国語教育が行われていない、というのは事実かと思います。無理に「動詞」「形容詞」で似たような機能がある単語群を区別するのではなく、中国語を(英語ではなく)中国語の文法で理解し教授されることを望みます。